2023年9月1日は、100年前に関東大震災が起こった日となります。

関東大震災提供: MeijiShowa.com/アフロ

当時、いろいろな要因が重なり、死者も数多く発生しております。
この当時の教訓を生かし、再発せぬよう家事には個々が十分注意して生活することはもちろんのこと、万が一火事が発生しても、大火災にならないようビルや住宅の造りに変化が起きていることに加え、予防対策や事後対応の強化も加わっております。
本日は、このあたりのお話をさせていただきます。

【目次】
1)日本の過去の大火事の歴史
(1)関東大震災による東京大火災
(2)死者がここまで多数出てしまった要因

①木造住宅密集地で燃えやすい環境であったこと
②地震発生時刻が昼の11:58であり、各地で火を使っていた時刻であったこと
③地震発生時間が10分と長かったことで消火活動ができなかったこと
④台風の影響による非常に強い風が吹いていたこと
⑤あらゆる地域で同時火災発生したことで消火活動が分散化したこと

2)住宅の変遷
3)昔の住宅
4)今現在の住宅
5)防火認定建材

1)日本の過去の大火事の歴史

(1)関東大震災による東京大火災

日本の過去の大火災といえば、やはり東京大火災が思い描かれる方も多いのでは?と思います。
こちらは、様々な火事が発生する要因が重なり一つの大規模な地域がなくなるほど大きな火災に
なってしまいました。

それは、関東大震災です。時期は、1923年9月1日11:58というちょうど100年前の土曜日の
お昼時でした。土曜日のお昼であったため、あらゆる家庭では、かまどや七輪といった固形燃料を
使い、昼食の用意をしている家庭が大半です。その時に、北アメリカプレートとフィリピン海プレート
の地殻が一気に揺れ動き、相模湾沖を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が発生し、
この巨大な揺れが10分間も継続したようです。
この激しい揺れが10分も続き、揺れに持ちこたえることもままならない状況下で、火元の消化対応が
できなかったことは言うまでもありません。そのため、東京の各地134か所で同時に火災が発生し
てしまいました。
この火災の初期消火ができたのは57か所であったようで、残りの77か所は消化できなかったようです。
さらに、その時、不幸なことに台風通過に伴う強風が吹いていたこともあり、結果、火災による死者
は、72,000人弱も出ております。※詳細は、下記表を参照

 

(2)死者がここまで多数出てしまった要因

①木造住宅密集地で燃えやすい環境であったこと
②地震発生時刻が昼の11:58であり、各地で火を使っていた時刻であったこと
③地震発生時間が10分と長かったことで消火活動ができなかったこと
④台風の影響による非常に強い風が吹いていたこと
⑤あらゆる地域で同時火災発生したことで消火活動が分散化したこと

この結果、東京の人口の40%である約100万人が避難を強いられ、上野公園や日比谷公園、
皇居周辺を中心にホームレス生活を余儀なくされたようです。
内閣府は、震災を教訓に「帝都復興計画」などを元に東京や横浜市では土地区画の整理や河川
の改修、「昭和通り」など舗装された幹線道路の新設も進んでいったようです。
其の甲斐あって銀座や京橋といった都心部が次第に活気づき、復興していったようです。

2)住宅の変遷

江戸から明治時代に移り、街並みも木造住宅からレンガ造りの住宅に変化していきました。

レンガ造りの建物
その背景には、大規模な火災が十数回も発生しており、井戸のポンプは消火活動の際に実質
活用できなかったため、当時は破壊消防を行っていたようです。そのため、政府は燃えない住宅を
目指しましたが、資金不足で計画自体が頓挫してしまったようです。
その名残は、今の銀座に残っているレンガ造りの建物がその象徴のようです。

市民にもレンガ造りは高額であったため、レンガ造りが商業施設に多く使われていったようです。
加えて、畳文化も影響し、一般市民にはなかなか浸透していかなかったようです。

大規模建築は、レンガ造りから鉄筋コンクリート造に変化していきましたが、住宅は根強く木造
が多く建てられ、資源減少を危ぶみ、杉の植林を戦後強化していきました。
その営業が現在の花粉症の原因にもなっています。
1950年に建築基準法が制定され、木材の使用制限や公共施設の非木造化が進んだようです。

その当時の「都市建築物の不燃化の促進に関する決議」(昭和25年5月1日)衆議院
→わが国は、年々火災のためばく大な富を喪失しているが、これは、わが国の建築物がほとんど木造であつて、火災に対して全く対抗力を有しないことに起因する。(後略)新たに建設する官公衙等は、原則として不燃構造とすること。
と謳っていて、不燃素材への変換を促しています。

しかしながら、昭和51年(1976年)建築審議会答申では、いまだ、日本国民の木造に対する根強い人気や戦後植林した木材の伐採期にあたるとして在来木材住宅の合理化と近代化を要求されており、防火技術の促進がなされていきました。

※「木造建築物を巡る歴史と現状」より参照
https://jsca-h.net/wordpress/wp-content/uploads/2022/02/220203_JSCA-H_kouennkai.pdf

3)昔の住宅の構造

現代の呼称は古民家と呼ばれるものが昔の家と定義されていますが、50年以上も前に建築されたものを指すようです。
しかしながら、1950年を境に考え方も大きく変化しているため、築100年と築50年の古民家では趣も大きく異なるようです。

古民家の街並み

上記の古民家では、
屋根:かやぶき屋根・瓦屋根
壁:土壁・漆喰壁
床:畳・無垢材
窓:障子等
基礎:玉石基礎

上記のように、天然素材を使いながら現代のように電気を使わず天然のエネルギーをうまくコントロールして快適性を高めている造りでした。屋根や壁については、富裕層とそれ以外で家の造りも異なっていたようですね。

参考サイト
https://www.mutenkahouse.co.jp/column/sickhouse/kominka-tokucho/

4)今現在の住宅(代表的な建材)

屋根:スレート ※他種類多数あり
壁:ビニールクロス
床:プリント合板フローリング
窓:樹脂サッシ
基礎:コンクリートベタ基礎

現在の住宅

上記のように昔と今を比べてみると、
使用建材は、高度経済成長期より使われ始めた新建材と呼ばれる石油由来の建材が多数使われるように
なりました。加えて、昔は夏の暑さにも負けない過ごしやすさを重視した家づくりが、今では冬の寒さを凌ぐため、
暖房効率を重視した家づくりに変化しています。
そのため、通気や日差しを遮る工夫も少なくなり、断熱性能や機密性能に重要視する傾向が家にいる滞在時間を
増やし、石油由来の建材から揮発する化学物質を摂取した結果、シックハウス症候群や化学物質過敏症といった
健康被害を受けるようになってしまっています。

話は戻りますが、
火災が発生すると、石油由来の建材の影響をうけ、一酸化炭素中毒にかかり、身体が動かず焼死してしまったりする
可能性もありますが、ガスコンロやIHクッキングヒータ自体に消し忘れ防止機能もあり火災自体が減少しています。
加えて、火災対策の街づくりや、消火活動の精度向上もあり、安全・安心な環境となっています。

5)防火認定建材

ですが、上記に加えて、燃えない建材も存在します。
それは、昔ながらに使われていた漆喰です。

無添加住宅では、壁・天井には漆喰が標準で使われており、この漆喰は防火認定を取得しています。

無添加住宅

参考サイト https://www.mutenkahouse.co.jp/products/plaster

45分間の準防火認定、30分の防火認定建材です。
この漆喰の効果は、また別機会に詳細の説明をいたしますが、燃えない建材が昔から使われていれば
万が一の時にも安全・安心した暮らしにつながり生活の余裕にもつながります。

詳細についてお聞きしたい方がおられましたら、下記URLよりお問い合わせください。
宜しくお願いいたします。

お問い合わせはこちら
https://belief-house.com/contact

この記事を書いた人
株式会社ビリーフハウス
広報 花島